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「個人が変わらなければ組織は変わらない」は本当か?

[2010.04.07] 松丘 啓司  プロフィール

 「組織は個人の集合であるため、組織が変わるためには個々人が変わらなければならない」という論理に対して、反論がなされることはあまりないように思う。確かにちょっと耳にしただけでは、あえて反論する必要のない当たり前のことのようにも聞こえる。しかし、この論理には曲解か誤解が潜んでいる。そのような論理を当然の前提として、人材開発や組織変革の施策がしばしば検討されていることが気がかりである。その結果、困った弊害が生じる可能性があるからだ。

 論点を少し厳密にするために補足すると、ここで「組織を変える」と述べているのは、組織の風土を変えるような取組みを指している。たとえば、経営理念の浸透を図ったり、組織内のコミュニケーションのあり方を変えたりする変革が含まれる。本社機能を見直したり、事業部門の組織構造を変えたりするような機能的・構造的な変革においては、もともと、個人が変わらなければ組織は変わらないという議論にはならないだろう。


 全体を変えるために部分を変えなければならないことはない

 組織が個人の集合であるかどうかについては、ひとまず話を脇に置いておこう。しかし、もし、仮にそうであったとしても、「組織が変わるためには個々人が変わらなければならない」とは言えない。たとえば、人の肉体は細胞によって構成されているが、肉体を改造するために、細胞を変えなければならない、という議論はほとんどない(皆無ではないが)。

 つまり、全体を変えるために、必然的に構成要素を変えなければならないということにはならない。これは、個人が組織の構成要素であると述べているのではなく、もし仮にそうであったと仮定しても、個人を変えれば組織が変わるという論理が成り立つわけではないことを意味している。

 それにもかかわらず、冒頭の論理が用いられるのはなぜだろうか。考えられる可能性は2通りある。第1は曲解だ。この論理が用いられることで、変革の対象が組織から個人に移り変わっている。想定される一つの可能性として、この論者はもともと、組織ではなく、まず個々人が変わらなければならないと考えていた可能性がある。

 これは、「自律」と「他律」に関する問題であろう。自律とは、個人が自分の価値観に基づいて判断する状態を指し、他律とは、個人が外(多くの場合は組織)の判断軸に従って行動する状態を指す。個人を変えようとする論者は、外の軸を個人に持たせることが組織にとって必要なことと考えているのかも知れない。

 第2の可能性は誤解である。組織という全体が変わるために、構成要素が変わることは必然でないとはいえ、その誤解は生じやすい。肉体と組織の違いは何かというと、物理的に存在するか、目に見えるか、という点にあるだろう。組織が姿形のない存在であるために、実体のある構成要素(=個人)を変えなければ、組織に変化が起こらないように感じられるのかも知れない。


 組織を変えるために個人を変えようとすることの弊害

 ところで、冒頭の論理が用いられる多くのケースでは、曲解よりも誤解の可能性が高いのではないかと思う。なぜなら、今日のほとんどの企業においては、個人の自律性が求められているからだ。たとえば、経営理念の浸透を図ろうとする取組みの意図は、個人の自律性を抑制することでなく、会社として共通の判断軸を持つことによって、同じ方向を目指しながら、個人が自律的に判断できるようにすることにあるだろう。

 しかし、それが誤解であったとしても、組織を変えるために、まず個人から変えようとすると、2つの弊害が現れる。

 第1は、時間がかかり過ぎるという弊害である。大きな会社で、研修などの方法によって順々に個人の変化を促していくと、何年もかかるといった場合、現実的なアプローチと考えられない可能性がある。そのため、取組み自体がはなから諦められてしまうことも少なくないだろう。あるいは、研修で個人を変える取組みを行ったが、組織は依然として変わっていないため、職場に帰ったら元に戻ったといった、焼け石に水のようなこともよくある話だ。結果として、いつまでたっても組織は変わらない。

 第2の弊害は、個人の価値観との混乱を招くことである。たとえば、経営理念の浸透の取組みにおいて、もしも、個人を変えることが指向されると、何らかのやり方で個人の内面に外の価値観を埋め込むことが必要になる。その一方で、個人はそれぞれの価値観を持った自律的な存在であるため、個人の内面で価値観の優先度設定に関する対立状況が起きてしまう。

 そのような状態では、個人が与えられた価値観に抵抗を示し、理念がまったく受け入れられないことにもなりかねない。あるいは、個人は理念を表面的には受け入れているように見せているが、心の中では優先度を下げていることも少なくなかろう。もし、理念が個人の価値観を塗り替えるようなことがあったとしたら、今度は個人が自律性を失い、「外の軸」によって動かされる他律的な存在になってしまう。いずれの場合でも、経営理念の浸透によって目指す姿とはかなり異なるはずだ。


 組織観を切り替えることが必要

 このような問題が生じるのは、組織が個人の集合であるという前提に立つからだ。つまり、一方では、個人に自律的な姿を求めていながらも、他方では、個人が組織の部分であるかのような組織観を前提としていることが、ミスマッチを生じさせているのではないかと思う。したがって、これらの問題を回避するためには、その組織観から脱却しなければならない。かわって必要になるのは、「個人は自律的な存在であり、組織もまた自律的な存在である」という組織観である。

 組織は個人によって構成されているという組織観を持つ人からすると、組織が個人とは別の自律的な存在であるという状態はイメージしづらいものかもしれない。確かに、個人がいなければ組織は存在し得ないが、それでも組織は自律的な存在だ。その証拠に組織は、独自の価値観を持っている。うちの会社は人を大切にするとか、お客様を第1に考えるとか、スピードを重視するとか、どこの会社にも多かれ少なかれ、何を大切にするかという価値観によって形成された社風がある。

 組織の価値観は、組織に属する個々人の価値観を集約したものではないことは言うまでもなかろう。組織の価値観は、現在の組織のメンバーが変わっても存在するだろう。なぜなら、それは個人ではなく組織が有しているものだからである。そして、組織の価値観によって、その組織が何を大切にするかという判断基準やコミュニケーションのスタイルは異なってくる。

 個人も組織もともに自律的存在であるという組織観を持つことによって、個人の自律性を育みながら、同時に組織を変えていくというアプローチが可能になる。つまり、個人を変えることによって組織を変えるのではなく、組織を変えるためにはそれ自体を変えるという発想に立つのである。それによって、時間がかかり過ぎるといった弊害や、個人の内面で価値観が対立するといった弊害を解消することができる。

 では、組織自体をどうやって変えるのかということが問題になるだろう。そのためには、組織がどのような価値観を持つべきかが明確にされるだけではなく、その価値観を組織におけるどのような状況に埋め込んでいくかがデザインされる必要がある。特に重要なのは、組織のマネジメント層がその価値観を大切にして行動することだろう。日常的な発言の内容はもとより、重要な意思決定は価値観に則っていなければならない。また、行動が価値観に合っているかどうか評価されることも重要である。

 このようにして、組織がその価値観を基準にして実際に運営される状態を創りだすことによって、組織ははじめて変わっていくだろう。個々人に対しては、その価値観に染めようとするのではなく、一人ひとりの内的な価値観を活かしながら、組織の価値観との調和をどのように図っていくかを考えさせることが重要である。それは、一回限りの取組みではない。キャリアやリーダーシップの研修や目標管理面談など、さまざまな場面において、個人が自分の価値観と組織の価値観の両方を大切にして仕事をする方法を考えていく機会を提供する必要がある。

 最後に、個人も組織もともに自律的存在であるという姿が機能するためには、もう一つの前提条件がある。それは、組織の価値観の中に、多様性を活かすことが大切なことであるという価値観が埋め込まれることだ。その価値観が存在することによって、「共通の判断軸を持つことによって、同じ方向を目指しながら、個人が自律的に判断できる」状態が、はじめて可能になるのである。

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