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- 【コラム】OLニッポン誕生記
2007年1月19日の日本経済新聞の第1面に次のような記事が掲載されました。
『玉ねぎより桃』
「青山学院大学の客員教授の中田研一郎は三十年勤めたソニーを退職前に"反対があってもやりたい"と思っていたことがあった。四年前だ。
当時、リソースマネジメント部の統括部長だった中田にはだれでもできることを部下がこなしているようにみえた。中田は試しに部員に一日の業務の流れを5分単位で書き出させた。「これもできますね」。内容を中国の外注先に見せると、こんな反応が返ってきた。これを機に中田は交通費精算など一部業務を中国・大連に委託し始めた。
社員たちに不安はあった。下の世代ばかりに改革を迫るのも忍びない。中田はある日、社員に一枚の紙を手渡した。"あなたは桃、それとも玉ねぎ?"。玉ねぎはむき続けたら何も残らない。桃には種が残る。"桃(種)になってほしい"。業務委託は単なるリストラではなく、付加価値が上がる分野に人材を振り向けるとのメッセージだった。
上に引用した紙とは下記の絵です。
上述したオペレーションはBPO(Business Process Outsourcing)と呼ばれており、人事や経理等の企業の間接部門の業務をインドや中国などのオフショアーでアウトソーシングすることです。 2004年の5月から、中国の大連においてソニーがインフォデリバというベンチャー企業と提携して始めました。人事業務を大連にアウトソースするといっても、何をどうしたらいいのか初めてのことでまったく見当がつかなかったので、難易度の低い極めて小規模なBPO業務を導入しながら、方法論を確立することにしました。それまでに見聞きした大連やインドのバンガロールにおける米国企業のBPOオペレーションの要は、マニュアルの作成と人事情報システムのインフラの活用にあることだけは理解していましたので、業務の分析、ワークフロー化、大連へ移管可能な業務の特定、教育、実行、検証の一連の過程を一歩ずつ考えて実行していきました。
一見、ノウハウ、プロセス、判断が混在して見える人事業務も、徹底的に業務分析してみると、ワークフローのどの部分が本当の意味での判断業務で、どの部分が日本でしか行えないのか、逆に、大連でも出来る業務はどの部分なのか、ということが序々に分かってきます。個々の担当者ごとにこのような分析を行ってみると、最初は大連に移管することは絶対に不可能といわれていた業務も、部分的に移管しても特に不都合はないということが、日本の担当者の目にも明らかになってきます。そういう検討を進めていくと、工数として1人分、2人分と移管できる業務が序々に特定されていきました。業務特定後は業務を担当する中国人のオペレーターを大連から招いて教育し、その内容をマニュアル化して、業務の引継ぎを順次行っていきました。こういうプロセスを経ることにより、従来、日本でのみ行っていた人事業務も、日本と中国の2カ国にまたがって運用できる体制にシフトしていくことが可能となっていきました。
10月から日本テレビで「OLニッポン」という番組が始まりました。観月ありさ主演で日本企業の総務部の仕事が突然中国に移管されること決まり、社内が騒然となる様子がコメディタッチで描かれています。まだ1回目の放映しか見ていませんが、私がインフォデリバ社と組んで実際に始めたBPOに端を発して、この番組の制作に至った経緯があります。
ソニーを退職する1年前に大連BPOを開始し、辞める時点では大連において既に数十人の規模のオペレーションまで立ち上げが出来ていました。このソニーのオペレーションは、いわば日本企業によるBack Office BPOの先駆的な成功例となりました。ソニー退職後、このBPOを広めるお手伝いをしている過程で、カタログ通信販売の大手企業が興味を持たれて、社長以下役員列席のもとソニーの成功事例の方法論の概略を紹介しました。その結果、その企業は、総務部の業務を手始めに本格的な全社BPOを実施し、大規模な BPOとして結実しました。その成功事例が、2007年9月3日にNHKスペシャルで「人事も経理も中国へ」という番組として紹介されました。その番組がヒントとなって10月から「OLニッポン」というドラマが制作されたということです。番組はドラマですからフィクションですが、番組を見ていると、大連からBPO業務を担当する若い中国人の女性を、私の部に初めて受け入れた時の社内の雰囲気を彷彿とさせるリアリティを感じさせる出来映えでした。私がBPOを始めて、社内に普及させようといろんな組織に働きかけましたが、結果は思わしくありませんでした。こういう思いもあって、最近私は各所の講演で次のような言葉を引用することが多いです。
一つ目は高村光太郎の「道程」という詩の冒頭で、
「私の前に道はない 私の後ろに道はできる」という一節です。
もうひとつは新渡戸稲造の言葉で
「道--頭の中で考えた目的地点に向かって歩む軌跡が「道」
頭の中で瞑想して之我道なりとしたものは、道そのものではなくしてその基点である。
そのものを実行し、実現したものが道である」
最近、以上のような一連の背景を知っている人に、ソニーに端を発したBPOがついに「OLニッポン」という番組にまでなったという話をしたところ、その人から次のような返事を戴きました。
「半歩先を行くと天才と言われるが、一歩先を行くと天災と言われる」と。
振り返ってみると確かに周囲の人たちからは、必ずしも歓迎されていなかったことも多かったと思います。私はその人に「私の場合は天災というより、人災でしかも大災害を起こしていると思われたことでしょう」とお答えしておきました。
周囲の人の本音はどうあれ、いつの時代もイノベーションが最初から理解されることがないのは歴史の鉄則であり、時の推移とともにその本質が時代の要請となって、やがて大きな"うねり"となっていくのでしょう。私が2005年に出版した『ソニー 会社を変える採用と人事』の最後に大連BPOを詳説しましたが、その結びの言葉を再度繰り返します。
「まだ大海の一滴の小さな試みですが、やがてこれが奔流となり大河となっていくことを楽しみにしています」
「OLニッポン」が、山から流れ出た"一筋の水流"を"奔流"として加速するきっかけとなってくれることを祈っています。