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人間力とは何か

[2006.06.01] 中田 研一郎

人間力

最近企業の採用に際して人事部は応募者の『人間力』を重視するということをよく聞く。人を採用するのだから、その人の人間力を重視するというのは至極もっともなことであるが、何故、今の時代に殊更に『人間力』というようなことが叫ばれるようになったのであろうか。

企業の面接試験においては、言うまでもなく応募者の履歴書をはじめとして、その人に関する様々な情報に基づき人物を総合評価する。その総合評価は正に『人間力』の評価に他ならないのであるが、面接で素晴らしいと思って合格としたものの実際に入社した会社で働き始めると、期待通りの成果が出せないこともあれば、逆に期待以上の素晴らしい成果を出す人もいて、採用面接をした人は改めて人を判断することの難しさを思い知ることになる。

ことほどさように、人が人を評価することは難しい。しかし、企業にとっては、活躍する人を採用できるかどうかは中長期的に企業の業績に極めて大きな影響があるので、採用面接の重要性は改めて言うまでもない。

人間力を見る方法論

筆者は人間力を見るための方法論として「仕事をするための七重の塔」という考え方を提唱している。その全体図は下記の通りである。
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1) 知識

まず仕事をするうえで、その仕事の分野に関する知識は必要不可決である。一時期、企業では学生が大学で学ぶことなど所詮底が知れているから面接でどんな勉強をしたかはあまり見ない、むしろクラブ活動などで活躍した体育会系の人物がいいというような見方をする風潮があった。しかし、現在の高度情報社会において知識を十分に持たないまま企業に入ってくるのは、武器を持たないで戦いに臨むに等しい。知識そのものはインターネットで検索すれば簡単に手に入るが、そもそも基礎となる知識が十分でなければ、溢れるばかりの膨大な知識の中から適確な情報を抽出することはできない。知識は体系があってはじめて整理が可能なので、断片的な知識を雑学のごとく頭に詰め込んでも、ビジネスの現場では全く役に立たない。
すなわち、大学で得ておくべき知識は単なる知識の集積ではなく、知識を自由に駆使できる「知の体系」である。原理、原則を理解してはじめてその上に様々な関連知識が整理された形で付加されていく。原理原則という根の上に幹が育ち、葉が繁るのである。

体系を理解することは人事業務でも極めて重要である。人事制度を設計する際、あるいは研修のプログラムを開発する際、その人が体系を念頭に置いているかどうかで結果は随分、異なったものとなる。体系を一定のコンセプトとして描けていなければ、人真似の制度や整合性のない制度を平気で導入することになる。
研修のプログラムも、何でも役に立ちそうな気がするので、盛り沢山のプログラムを導入して人事部は自己満足するが、社員にとっては求められる人物像が判然としないまま個別の研修プログラムを提示されても、自分のキャリア形成に結びつけることができない。

一定の分野における「知の体系」を習得してはじめて、その人は高い質の仕事をすることができるのである。

2) 知恵

知識を生かすのが知恵である。どこの会社にもいわゆる知恵者として有名な人がいる。仕事においては知識をいくら集積して体系化しても、最後にどうしても解決しない事がいくらでもある。そんな時、1足す1を2ではなく5にも10にもすることのできる人が知恵のある人である。

一般に発想が豊かと言われる人は、よく聞いてみると自分の中に様々な異なる経験や出会いを持っている人が多い。自分の中に "diversification"と言える要素を沢山持っているのである。"diversification"の要素は、人とは異なる発想と視点をもたらす。

知恵は行動と密接に関係して形成される。行動なき人に知恵は生まれない。困難な場面に直面して多様な行動からそれを克服した人は、自分の中にdiversifyした経験をいくつも持っているので、仕事の修羅場に強い。皆があきらめるような場面でも、突破口を考える知恵を発揮することができるのである。

3) 勇気

勇気が何であるかを抽象的に考えても分からない。最終的には勇気は自分で出してみて初めて分かるものである。しかし、敢えて分かりやすい例を挙げるとそれはイチローやサッカーの中田選手に見ることができる。

イチローや中田はいずれも日本において、その分野で既に一流と認められていた。そのまま日本に居ればさほど苦労することもなく、順調な選手生活を送ることができた。しかし海外に行って更に高いレベルの選手を目指す決断をしたとき、彼らにとって一番必要だったのは勇気ではないだろうか。日本の一流が海外で一流として通用する保証はない。自分の実力の評価という根本的な問題に加えて、言葉の問題や生活環境を考えると、不安な事柄は数え切れないほどあったに違いない。しかし、それらの不安を抑えて、あえて実行に踏みきったのは、理屈を超えて最後は「勇気あるのみ」と決断したに違いない。彼らは今後、いろんな問題に直面するであろうが、その時には間違いなくまた勇気を出して新しい世界に挑戦するであろう。

仕事において、遅疑逡巡して結局、成長する機会を逃している人があまりにも多い。会社の仕事で誰かが激励をして背中をそっと押してあげれば、勇気を振り絞って困難に挑戦し、大きく成長することがある。良き上司がその激励役を果たすことが多い。しかし、最後は自分が勇気を出せるかどうかである。長い会社での仕事人生において勇気を一度も出すことなく終る人なのか、あるいは次々に新しいことにチャレンジできる人なのか、その差は勇気がある人かどうかである。

4) 情熱

勇気と同様、出せと言われてもすぐに出てくるものではないのが情熱である。一見クールに見えても心の中では強い情熱を持っている人もいる。情熱家といわれる人は、概して熱しやすく冷めやすい。仕事で必要とされる情熱はそのような表面的な感情の表れではなく、心に秘めた、いわば執念ともいうべき深い決意と言ってよいだろう。

よく「軸がぶれない人」というほめ言葉を聞く。経営者として「軸がぶれない」ということは社員との信頼関係を構築する上で非常に重要である。その人は心に堅く決意し、自らのコミットメントを明確に認識している。その自らの堅固なコミットメントの基盤から情熱が出てくるのである。情熱のある人は、人をひきつける。困難に直面しても右顧左眄(うこさべん)しない。最後までやりとげる力を出し続けることができる。したがって、「情熱なくして大業は成し遂げられない」といわれるのである。

30歳も過ぎると「今更、情熱なんて」と白けた言葉を言う人が多くなってくるが、それは自分の可能性を放棄するに等しい。いくら才能があっても、その才能はあくまでも潜在能力であって、情熱の薪を燃料としてはじめて花咲くことを忘れてはならない。

5) 夢

誰にも人生の夢がある。その人生の夢と仕事の夢を近づけるのがキャリアディベロップメントである。仕事の夢は単なる夢想ではなく、具体性をもったものであることが必要である。また夢の実現に向かって具体的な行動となって現れなくてはならない。夢と情熱はコインの裏表である。夢がなくして情熱はなく、情熱なくして夢はない。夢はもちろん自分がどうなりたいとか、どうしたいとか、まずは自分を出発点として築いていくものであるが、最後まで自分に終始すると夢は段々、小さく萎んでしまう。

人間には自己を生かすという動物としての生存のための利己的遺伝子が組み込まれていることは否定できないが、同時に他人を助け、人のためになりたいという利他の遺伝子も備わっていることを忘れてはならない。夢はその広がりを利己の範囲だけに留めておくと、やがて限界が来る。若いときの夢を一生かけて実現する人生は尊いが、多くの人は、社会の荒波の中で青春時代の夢を忘れてしまう。それはその夢が自分という狭い殻に閉じこもっているからである。北海道大学でクラーク博士が"Boys be ambitious"と言った意図は、「自らの狭い殻に閉じた夢ではなく、自分を取りまく他者との共存と共栄に心を開いた世界観の中で自分の夢を一生追い求めよ」と言っているのではないだろうか。

夢がある限り、前に進める。しかし、夢を持たないで、仕事を日々の糧を得るための労苦とだけ考えたら、日々の歩みは鉛のように重くなることは間違いない。

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6) 目的観

目的観はその人の価値観によって決まる。いかに知識、知恵、勇気、情熱、夢を十二分に発揮して仕事を達成しようと、最後にこの目的観を間違えると,まさに『九仞の功を一簣に虧く』(長い間の努力が最後の過ちで台無しになる)ことになってしまう。ライブドアの若き経営者達は、いずれも優れた才能と勇気、情熱を持って短期間に夢を実現したかに見えたが、最後にこの目的観で躓いたのではないだろうか。才能のある人がビジネスで蹉跌をきたすのは、この目的観の狂いであることが多い。企業活動の目的は利潤の追求であることに他ならないが、『人生は金がすべて』と言い切ってしまう価値観はやはり物事の判断を誤らせる。悪意があろうとなかろうと、価値観の狂いは物事の判断の狂いを引き起こす。

企業理念とは社長室に額にいれて飾っておく古めかしい教訓ではないのである。法人という擬人化した会社組織には「社格」というものがある。その「社格」は企業理念によって長い時間をかけて形成されていく。究極の企業コンプライアンスはこの「社格」を形成することによってしか実現できない。社格を形成する責任は経営者にあるが、個人もその人の目的観が微妙に仕事に反映される。人の信頼を勝ち得る人の目的観は、王道を行って邪道を嫌う。小手先の邪道を駆使する人は、一見、要領よくその場の成功を収めたかに見えるが、最後には人の信頼を勝ち取ることができない。
目には見えないが心の襞の価値観の微妙な違いが、結果として大きな違いとなって現れてしまう。目的観と聞いて辛気臭いと思う人は要注意である。
7) 行動

知識から最後の目的観まで全てのレイヤーを駆使して仕事は行われるので、行動とはそれらの結晶である。行動の中にその人の持つ知識も情熱も勇気も入っているので、行動を見れば上の図の2段階目から7段階目の各レイヤーの構成要素の判断ができるのである。

この考え方がいわゆるコンピテンシーの考え方を応用した面接ということになる。いわゆるコンピテンシーはその人の行動形態が成果に結びつくかどうかという視点から見るが、主としてリーダーシップとかコミュニケーション能力といった要素分解をして考える。

しかし「人間力」という極めて抽象的、総合的な判断は、要素分析だけから帰納することは困難である。むしろ、行動と言う目に見える世界からその下に潜む6段階のレイヤーを発掘していく作業でその人の人間力が見えてくるのである。

知識と知恵は物事を可能にするための"enabler"であり、勇気、情熱、夢はいわば物事を推進していく"driver"と言える。最後の目的観はその人の価値観に基づいているので"value setter"である。

そして知識から目的観までの6段階レイヤーは、その人の価値を形成する財産であり"assets"であるが、それはあくまでも「潜在価値」であって外部から十分に認識されてはいない。その潜在価値を顕在価値にするのがその人の行動である。行動にその人の価値が凝縮しているのである。自己実現とは人には見えない潜在価値の6段階レイヤーを駆使して、行動の中に顕していくことに他ならない。
面接との関係

筆頭に述べたとおり、人事の面接において応募者の人間力を見ることは難しい。しかし、上述の「仕事をするための七重の塔」を念頭に置いて面接をしてみてはどうだろうか。「何をしたか」という行動事実から知識以下の6段階レイヤーの各々をみてその人が「何を持っているか」を探っていくのである。その確認行為が面接ということになる。

この「仕事をするための七重の塔」は実は「達磨落とし」のような構造になっている。人によっては「達磨落とし」で一段あるいは二段が木槌ではずされているかもしれない。その場合、塔は立っているが「七重の塔」ではなく「五重の塔」である。すなわち人間力がその分弱いということになる。自分が何重の塔なのか点検してみると、人間力形成のために何をすべきなのか明確になってくるであろう。

仕事の七重の塔を確立している人を筆者は「Identityを確立した人」と称している。他人や環境に依存せず、仕事を全て自己の責任として全面的に引きうけ、困難に直面しても勇気を持って挑戦し、困難から決して逃げない人である。

知識から目的観までの6段階レイヤーを確実に具備し、それを行動の形に首尾一貫して表現していく人こそ「人間力」のある人というべきである。7段階のレイヤーは、首尾一貫していること事が重要である。七色の虹のような塔になってしまうと、その人のIdentityはぼやけてしまう。例えば、知識が人からの借り物では自分の意見として表現することはできない。どのレイヤーをとってもその人らしさが表現されたものであることによって、その人独特の人間的魅力が出てくるからである。

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